12. 古代朝鮮・高句麗の壁画

朝鮮の三国時代

古代朝鮮には中国の漢の四郡が置かれていましたが、やがて北部に部族国家の高句麗(こうくり)がおこり、南部には、百済(くだら)、新羅(しらぎ)がおこり、四世紀には三者が互いに対立する状態になりました。三国はそれぞれ中国の北朝・南朝と関係を保ちながら勢力を争い、中国文化の影響を受けながら固有の文化を発展させていきました。

七世紀には唐と連合した新羅によって高句麗、百済が滅ぼされ、統一新羅として半島最初の統一国家が誕生しました。


高句麗初期の壁画

高句麗の墳墓には民族性豊かな墓室壁画が描かれていました。高句麗に投降した中国前燕(ぜんえん - 国名:337~370年)の武将・冬寿(とうじゅ - 289~357年)の墓と言われる四世紀中ごろの安岳三号墳(あんあくさんごうふん)が有名です。

壁画には被葬者や夫人の肖像の他にも、侍者、家臣、兵士、儀仗旗主をはじめ、250人以上の行列の図などが描かれています。また被葬者の生前の地位を示すものや、厨房(ちゅうぼう)、牛舎(ぎゅうしゃ)、厩(うまや)、井戸、碓小屋(うすごや)など、当時の生活も描かれ、のびのびと描かれた輪郭線の中はあざやかに彩色されています。

中国文化の面影を残す安岳三号墳を元に、高句麗でも壁画古墳がつくられるようになったと推測されており、初期から中期の高句麗では狩猟や相撲、楽団などの娯楽が色鮮やかに描かれた壁画も見つかっています。


四神図

中世期になると、墓室の四方には東に「青龍」、西に「白虎」、南に「朱雀」、北に「玄武」の四神(ししん)が描かれるようになりました。また、天井には日象(にっしょう - 三足烏)、月象(げっしょう - ヒキガエル)が描かれたり、星座などの天文、怪獣や天人、仙人を描いたものもあります。

百済にも高句麗と同じような壁画古墳がありますが、有名な「公州宋山里古墳(こんじゅそんさんりこふん)」でも四神図が描かれています。

中国の南北朝時代の墓室壁画にもこれらの図が見られ、特に四神図は中国から朝鮮半島に伝わり、さらに日本にも影響を及ぼしました。日本では高松塚古墳やキトラ古墳にも四神が描かれています。


統一新羅の壁画

仏教が栄えた統一新羅時代には、寺院の堂内が多くの壁画で飾られていました。現在ではそれら全てが失われたとされ、確認することができません。


↓ 青龍図 江西大墓壁画(高句麗 七世紀)


東洋の絵画

東洋の絵画について紹介しています。 中国の歴史と共に発展してきた絵画は日本や韓国にも影響を与えました。