13. 高麗の仏教絵画

統一新羅を併合した高麗の美術

統一新羅末期の動乱の中、王建(わんごん)は高麗王朝を創立し、半島南部の新羅を併合して、後百済をも滅ぼし、半島を統一しました。
高麗は唐にならって官僚制度を整理し、宋との交易によって文化を発展させましたが、12世紀後半以降は武官(軍人の官職)が政権を握り、1231年以降のモンゴルの侵攻により、その属国となって高麗の国力は衰えました。

高麗の美術は青磁(せいじ)や螺鈿漆器(らでんしっき)、象嵌(ぞうがん)などの工芸品に際立った発展を見せましたが、絵画は中国の宋元の模倣のまま発展せず、遺品も少数です。


仏教絵画の新ジャンル・高麗仏画

王建、そして歴代の王は仏教に帰依(きえ)し、鎮護国家(ちんごこっか - 仏教には国家を守護・安定させる力があるとする思想)の法として保護しました。そのため仏教が栄え、「高麗大蔵経(こうらいだいぞうきょう)」の出版なども行われました。また、仏教美術の優れた作品が数多く制作されました。

この時代の仏教絵画は「高麗仏画」と呼ばれ、特別な様式をつくり出しており、極めて装飾的な画面構成が特徴です。なだらかでうるわしい細い描線、あざやかな色彩、金泥の多用により、仏や菩薩の衣に細密な模様を描き込んでいます。主に阿弥陀如来(あみだにょらい)、地蔵菩薩(じぞうぼさつ)、水月観音(すいげつかんのん)、楊柳観音(ようりゅうかんのん)などが描かれました。

宋や元の仏画から影響を受けて、宮廷画家や民間民間の画工により制作されましたが、時代が後になるほど表現が乏しくなり、形式的な模写を繰り返すだけになってしまいました。高麗仏画はその後の戦乱や仏教弾圧により、伝来する作品は大変少なくなっています。

仏教経典、とくに紺紙(こんし - 紺色の紙)に金銀泥で書き写された装飾経の見返しには、仏や菩薩の姿が描かれました。これも中国の絵画を模倣したもので、高麗後期のものは、元の宮廷で信仰されていたラマ経(チベット仏教)絵画が強く影響しています。


高麗時代の水墨山水画

高麗時代にも宋元の文人画にならった水墨山水画が描かれました。京都金地院(こんちいん)の「夏冬山水図(かとうさんすいず)」(重文)の二幅や京都妙満寺(みょうまんじ)の「歳寒三友図(さいかんさんゆうず)」は高麗文人画の代表作です。

これらの作品には中国の模倣に、高麗の独自性が加わり、体に柔らかさを感じられます。


↓ 水月観音像(楊柳観音像) 徐九方筆 1323年 泉屋博古館蔵

高麗仏画の特徴

1. 阿弥陀如来、地蔵菩薩、水月観音、楊柳観音などの特定の図がらに限られている
2. 阿弥陀の胸に逆卍文、掌に千輻輪文を描いたものが多い
3. 金泥による文様が多く装飾が派手
4. 丸く大きな唐草円文が大きく描かれる
5. 朱色と深い緑色を基調とした濃密な彩色
6. 高麗後期(13世紀)以降の作品しか残っていない

東洋の絵画

東洋の絵画について紹介しています。 中国の歴史と共に発展してきた絵画は日本や韓国にも影響を与えました。