東洋美術の魅力

東洋の建造物

東洋美術の魅力を語るとすれば、まずは「仏教美術」の成熟が挙げられるでしょう。仏教は紀元前5世紀頃、インドで生まれ、その後造仏造寺が盛んとなり、一般の人々にも信仰が広がりました。

・紀元前1世紀頃のアジャンターの石窟
・紀元前2世紀から3世紀のガンダーラの石仏美術
・4世紀以降の中国をはじめ西域各地の千仏洞(石窟寺院)

などを代表としますが、中国に広がった造仏はさらに多大な人材と時間を費やし、4世紀に始まった

・敦煌(とんこう)の石窟

は14世紀にまで及びました。敦煌は現在でも、古代独自の巨大構築物として名を馳せています。

東洋美術の特徴は、このように「大きい」ものに美を求める傾向がありました。

・中国の雲岡の石窟
・中国の龍門の石窟
・朝鮮の統一新羅時代の王陵
・12世紀のカンボジアのアンコール・ワット

巨大な建造物は土木や測量の技術が必要となり、高度な数学の発展を促しました。東洋の文化には神秘的で自由なイメージを持つ人が多いですが、巨大な建造物を実際に見た人は、東洋の理性と知恵を感じられます。


東洋の美術品

そして、東洋美術の魅力は、自然と共生する写実主義の美術です。東洋絵画は紙や絹に描かれることが多く、現存するものは少ないですが、人物の人柄までを絵にしたとされる

・4~5世紀頃の中国東晋(とうしん)の画家「顧愷之(こがいし)」の作品

が現存しています。中国では自然を生き生きと描き出す「山水画」(風景画)をテーマとすることの重要性、描く対象を自然界に求めることの大切さを説く画論が生まれました。

西洋絵画の自然(山や森)は、人物や建物の背景として描かれることが多く、西洋で風景を独立して描かれるようになったのは17世紀頃です。
中国では唐の時代(8世紀)に定着していた風景画は北宋時代に水墨画として発展しています。「何も描かない部分」をつくる「余白の美」を構成する技術は、東洋独自のものとされ、花鳥などの身近な情景が描かれるようになり、朝鮮絵画へも影響を与えました。


東洋美術の魅力は、工芸の多様な発展にも表れており、世界の美術の中で、東洋ほど多様な工芸品が発展した地域はないでしょう。中国の殷周(いんしゅう)時代(紀元前16世紀~前8世紀)の銅器は人類の道具に美を追求した最も古い例とされています。
このころの美術は呪術的な意味合いを持たせた文様が多く、自然の猛威や神秘に対抗し、また共存する意味が含まれています。

漆器は漢の時代(紀元前3世紀~後3世紀)には既に最高水準のものがつくられていました。漢時代の古墳から出土した漆器は、千年以上も変色していません。これは、自然の漆(うるし)の木を傷つけて出てくる樹液を塗料に使用し、適度な湿度で長期間保管できる技術を、漢の時代の人々が持っていたことを証明しています。

漆は強力な接着材としての機能を有し、黒、朱、黄などの顔料ともよく混ざり合うため、金銀、貝などの文様の貼り付けや、象嵌(ぞうがん)するときにも最適な材料です。東洋では漆器が生活用品として、また宮殿の装飾品としても残されています。

焼き物「陶磁器」が最も古くから発展したのは中国とされ、後に朝鮮、東南アジアに伝わりました。陶磁器は陶土(やわらかい粘土)を火に入れて焼き、変質させることで固くなります。人類が最初に発見した化学変化とも言われています。

東洋の焼き物は、多数の釉薬が開発され、製品として成り立っています。それらの陶磁器に筆で絵を描き、美しさを表現したのも中国です。
英語のchina(チャイナ)には陶磁器という意味があることからも、中国が陶磁器界の祖であることが分かります。


東洋の絵画

東洋の絵画について紹介しています。 中国の歴史と共に発展してきた絵画は日本や韓国にも影響を与えました。